韓国 国際結婚 体験談 統一教会

 

私は統一教会で行われた結婚で韓国人と結婚しました。教祖があてがったどこの誰かもわからない人でしたが、教祖を信じて異国の地へと旅立ちました。

韓国という、どういう国かもわからないのに、勇猛果敢にも信仰のみ、家族の承諾も得られないまま、半ば家出のような形で行くしかありませんでした。

自分で相手を探すことを放棄し、教会の教義に基づいた結婚ならきっと幸せが待っていると信じたから可能でした。今思えば、なんと無謀なことだったのかわかります。

残された家族の気持ちも無視したまま、頼る相手は夫のみ。ビザの関係もあって、婚姻届を出してからの渡韓でした。婚姻届には教会関係の男性に代筆をお願いし、書類上の夫婦になった後、韓国に渡って任地生活という、教会の地下の埃だらけの部屋での生活が始まりました。

最初から困難な出発でした。ソウルの駅で教会の人と待ち合わせることになっていたのに、3時間待っても誰も来ません。雪の降る、寒い日でした。教会に電話して、日本人の女性に今いる場所を告げて、やっと男性二人が迎えに来てくれました。

あとから聞くには、来る予定だった人がすっかり約束を忘れていたとのこと。外国から一人で来るというのに、そんなことがありうるのかと驚きました。韓国語はほとんどできない状態でした。

教会に到着した私は、寒さに震える中、泊まる部屋に案内されました。3年以上任地生活をしている女性たちが何人もいました。

彼女たちは世界日報という、新聞を配りながら暮らしていました。3年を過ぎれば韓国人の夫と一緒に住むことになっていました。私が行ったのはちょうど彼女たちの任地が終わって家庭を出発するころで、新聞を配る場所を引き継いで、私が早朝、世界日報を配ることになりました。

ソウルの冬は想像以上に寒かったです。あまりにも寒くて怒りが湧くほどでした。トイレは凍って、大をした後流せませんでした。そして食事が合いませんでした。

辛いキムチは食べられず、私は食費を払っているにも関わらず、貧しい人と結婚した人たちは食費が払えなかったので、必然的に献立も粗末なものしかありませんでした。食べるものがない時は、ご飯に塩をかけて食べました。足らなければ教会の外に出て、コンビニなどでパンを食べるしかありません。

言葉も通じず、婚姻関係にあっても一緒にまだ暮らしていない夫の言っていることを理解するにも通訳が必要でした。ソウルで暮らして2か月経ったころは、もう韓国では暮らせないと結論を出し、日本の家に帰るべきか悩みました。

でもタンカをきって出てきた身です。帰る場所などありませんでした。妹の家族が、妹の出産のために実家で暮らしていたので、私の居る場所などありませんでした。

夫に会って話し合いをしようと思い、教会で許可をもらって夫のいる所に行きました。韓国人にとってはすでに結婚もして夫婦であるので、体を要求してくる可能性はありました。

教会の教義では、三日行事という過程を経ないと夫婦生活はできないことになっていて、一人で夫の所に行くのは不安がありましたが、話し合いをして今後のことを相談しなければなりません。

私より3年前に教会で結婚した人たちが間に入ってくれましたが、泊まる場所は夫の住んでいた小さな家でした。奥さんが心配してくれましたが、私は大丈夫と思い、そのまま夫のいる家に行き、夜を迎えました。案の定、夫は私を求めてきました。

日本で徹底した教育という洗脳を受けていた私は、教義に外れる行為をすることはできないと、ひどく恐れていました。その恐れていたことが起ころうとしていました。

日本では手をつなぐ程度は許されていましたが、韓国では結婚目的の男性がほとんどでしたので、挿入しなければいいと教えていたようです。そんなことを露にも知らない私は、挿入こそ免れたものの、その前までいってしまったことに恐怖を感じ、それが遠因になってのちに鬱を発症しました。

韓国に来てまだ2か月、こういうことを話せる相手もいない私は、ただ恐れるだけで誰にも話せませんでした。教会の本部に電話をしてみると、罰として一週間の断食をしろと言われました。

一週間も断食を二人でするのは不可能でした。簡単に言う事務員に憎しみさえ沸きました。結局日本に帰るにも帰る道はなく、そのまま家庭を持ち、子供も得ました。

今思えばあの時立ち止まって帰ったほうが良かったかもしれません。外国人としての暮らしは、日本では考えられないことの連続で、あまりにも多くのストレスを感じた私は、数年後には鬱になり、全く眠ることができなくなりました。

人生においては選択をすることが実に多いです。もしそこで戻っていたら、睡眠剤に頼らなくても暮らしていられたのかもしれません。

日本に帰っていたら全く違う人生があったと思います。戻れない原因の一つには、実家の家族間の不和がありました。自分の居場所を探して生きてきた私は、統一教会が世間から不評であっても、そこに居場所を求めていました。

高額な献金を要求され、持っていたお金はほとんどが教会に流れ、夫を紹介する場も持てず、不幸な第二の人生を出発せざるを得なかったのは、今でも悲しく寂しいです。国際結婚にはそうでなくてもリスクが高いです。

幸せな結婚を望むなら、きちんとした順序を踏み、周囲に理解される努力が必要です。そんな当たり前のことをしなかった私は、本当につらい思いをしました。

これから国際結婚をしたいという方に、私の体験が参考になれば幸いです。