私は1995年の統一教会の合同結婚式で韓国人と結婚しました。信仰を持つようになって10年経っていました。私の年齢は30歳、夫は32歳でした。
教義を信じていた私は、必ず幸せな結婚生活を送れると思っていました。韓国という国がどんな国かも知らず、漠然とした不安を抱えながらも、信仰できっと乗り越えられると信じて自分の人生をかけました。
合同結婚式で同じように韓国人と結婚した人たちは、みなそのように思って渡韓したはずです。夫との結婚生活をするまでには、私の時は4か月の教会生活が必要でした。やる仕事は世界日報の配達です。
1992年に結婚した人たちは30歳以前なら3年の教会生活が必要で、1988年に結婚した人たちは4年もの長い間家庭を持つことができませんでした。
最初の二か月はソウルで、後の二か月は釜山でした。結婚相手との生活を待ち望む男性が多かったため、急きょ男性の家の近くの教会に配属されました。
当時韓国では、日本人の女性と結婚できると教会で募集して集まってきた男性ばかりを集めていました。当然信仰はなく、教会で禁じられている酒、たばこもやる人たちです。
そんな事とは知らない日本人女性たちが今後どれほど苦労するか、私がこの21年に渡って暮らしてみて、たくさんの不幸な事情を見聞きしてきました。私にとっても例外ではありませんでした。
夫は見た目にはとても優しく、家族も暖かく迎えてくれました。私は実家の家族にろくに紹介することもできずに渡韓してしまったため、その応対にはとても感動、感謝の気持ちでいっぱいでした。きっと大丈夫、信じて疑いませんでした。
しかし夫は私の気持ちなど全く知らず、教会で禁じている酒、たばこをやり、夫の友人たちが私のために集まって祝福してくれたというのに、たばこを買って来いと言われてとてもショックを受けました。
酔った友人の一人はたらいを割ってしまいました。その衝撃は到底言葉では言い表すことはできません。そのあとカラオケに行ったのですが、涙が流れてトイレで泣いていると、夫は怒って私を怒鳴りつけました。
私の気持ちより、体裁が大事だったのです。そのうちに妊娠していることがわかりました。私は正直不安でした。初めての妊娠で、外国住まいで言葉もまだよくわからない状態です。
妊娠期間に痔になったり、赤ちゃんが生まれそうになって3日間入院したり、日本で出産するつもりでしたが帰ってからも出産10日前まで入院したりと、忙しい日々でした。
その妊娠期間に夫の正体がわかる出来事がありました。地下鉄に乗った時、席がなかったので二人で立っていました。妊娠7か月くらいだったのでお腹が大きかったです。席が一つ空きました。当然妊婦の私に席を譲るだろうと思っていた私の予想に反して、夫が何も言わずに席に座ったのです。
普通の感覚なら、そこで私を座らせるだろうと思います。しかし夫は私の反応を試していたのです。私は急なことで唖然としてしまい、夫に何も言う事が出来ませんでした。
どこまで私が夫を許すのか、DV夫のためし行動がすでに始まっていました。そして日本で子供を出産し、まもなく二番目の子供を妊娠していました。この妊娠もまた、不安を抱えたままの状態でした。
最初の子がまだ手のかかる時期です。流産させろと言う親戚もいました。そんなことを言う親戚にも驚きましたが、教義では流産は禁じられています。頑張って生むしかありませんでした。韓国生活に慣れるのも大変なのに、子育ても加わって、目が回るほどの日々でした。
夫のご飯と私のご飯、子供のご飯と3種類のご飯を用意していました。横になる暇もないほど忙しかったです。そんな中、またしても夫が私に対して怒りを表現してきました。
心身ともに疲れていた私は、義母の所に行くことを断ったのです。お腹は大きいし、上の子はいるし、田舎に行けば神経も使います。何よりも言葉が通じません。田舎の方言は到底聞き取れませんでした。
そんな私に怒った夫は、妊婦であるにも関わらず、腕をつかんで私を放り投げ、そのまま田舎の義母の所に行ってしまいました。このことで我慢の限界に達していた私は、教会の先輩の所に行き、教会を辞めたいと申し出ました。
それを間接的に聞いた教会長は、私を問題児として扱うようになりました。教会を信じて異国に嫁ぎ、誰の助けも求められない状況の中で必死で生きてきましたが、本当に限界でした。
お腹の子供はそんな私のストレスを感じたのでしょうか、8か月の早産で生まれてしまいました。最初の子も、二番目の子も、夫が不在の出産でした。
夫のDVがもっと具体的にわかるのは、何年か後のことです。当時DVのことは広く知られていませんでした。ネットに接するようになって自分の置かれた立場を理解するようになったのは、鬱を発症して別居するようになってからのことです。
あまりにもひどい夫のDVから逃げて、別の場所に住居を移してから10年になります。日本に帰ることはできませんでした。実家が子供の受け入れを拒否したからです。
安易な気持ちで韓国人との結婚をしてしまった報いなのでしょうか、言葉にはならない精神的、肉体的な苦労を重ねて、何年もほぼ寝たきりの生活から立ち直って、今は夫と別居の状態ですが、穏やかに暮らしています。
言葉の壁、文化の壁を超えるのは難しいです。相手が人格障害を持っていればなおさらです。国際結婚をする方たちには、離婚の際に発生する問題、書類なども調べてから結婚することを強くお勧めします。私の体験談を読んでくださり、ありがとうございました。