そーだ!ワーホリに行こう!

私が23歳の時、関西にある有名な某企業に勤めていました。

入社当時から、23歳になったら退職して次の道に進むんだ!と決めていた私は、仕事の達成感を感じつつあり、いい機会だし決めてたとおり退職して次の新しい人生を歩んでみるか!と決心し、会社を退職し田舎の実家に戻っていました。

しかし、「次、私は何をしたいの?」と自問自答してみると、中々答えは見つからずにとりあえずで飲食店でのバイトを始めていたのでした。

そんなある日、勤務するレストランに外国人が来店し、私ただ1人がテンションが上がっていたのです。

他の飲食店のメンバーを見てみると「英語全然分かんないから接客したくない」と言うのです。

私がなぜテンションが上がっていたのかというと、子供の頃から外国人(特に白人)が大好きでした。

その理由は、ブロンドの髪で青い瞳をした、まさに絵にかいたような王子様やお姫様のイメージだったからです。

少し話はずれますが、高校時代に私は、インディアンレストランでアルバイトしていました。そのお店は衛生面もかなりいい加減でした。ラメス(仮名)というインディアン店長は何より女性が大好きで日本語もカタコトの人だったので、当時バイトの面接は私が担当していました。その際、ラメス(店長)から「彼氏がいるかどうか聞いて」という面接事項があり、それを聞くたびに面接にきた女性達は結果を待たずに辞退することが続いていました。

当然です。セクハラに当たりますからね。それをラメス(店長)に伝えても、「日本人のカノジョが欲しいんだ」とそればかり。

当時の私は、店で勤務する24歳のネパール人シェフの男性と交際をしていたのですが、お風呂からあがって携帯を見ると着歴が15件などがざらだったのです。

かけなおしてみると「どうして出てくれないんだ!!僕のこと嫌いになったの?それとも他の日本人のオトコと一緒にいるの?」と尋常ではないほどの束縛をしてくるタイプだったのです。

そこから彼が大阪の店に異動になり、別れることになってからも頻繁に店に「りこチャン(私※仮名)と話したいんだ」などと連絡してきたり、クリスマスには店に郵送で彼の名前のイニシャルが入ったネックレスを贈ってきてメッセージに“俺も、りこちゃんのRをつけてるからいつでも一緒だよ”と書かれていました。

子供の頃から外人全般が好きだった私ですが、ラメスやネパール人の元カレの件があってから“インディアンは無理”という体質になっていました。

話は戻り、白人を見るとテンションが上がっていた私を見てバイト仲間が「海外に行ったら、大好きな白人を毎日見れるんじゃないの?」と言いだしました。

そこで、私は“それだ!”とひらめき、前々から気になっていた「ワーキングホリデー」に行くことを決心したのです。

フィジーとの出会い

バイト仲間の一言でワーキングホリデーに行くことを決意し両親に伝えると「好きにすればいいんじゃないの?自分のお金なら」と承諾してもらえ、ひたすらに節約生活をスタートしました。

そんなある日、横浜に住んでいた姉夫婦が帰省してきて「ワーホリに行くんだ。」と伝えると「英語が全くできないくせに、ワーホリのオーストラリアとか行ってやってける訳ないじゃん。」と一刀両断されました。

確かに、私は中学英語も出来ないほどのレベルだったのですが、姉はカナダの大学に進学していたので英語はバッチリでした。

すると姉から「海外で生活するっていうことがどんな事かを学ぶのと英語の勉強も兼ねてワーホリに行く前に留学とか行ってみたらどう?フィジーとか」と言われました。

そこで、私は「フィジー?」と23年間生きてきて、初めて耳にするフィジーという国を知ったのでした。

話を聞けば、姉はテレビで日本の会社が経営する語学学校がフィジーにあって、イギリスやアメリカなどに留学する費用の3分の1で済むという特集をしていた番組を以前見ていたそうなんです。

「ワーホリに行きたいオーストラリアにも近いし気候も似てるからいい勉強になるんじゃないの?安いし」と姉から助言を受け、早速その週末に大阪にある会社で開かれる語学留学の説明会を聞きに行くことにしました。

そこでは、南太平洋の小さな島国のフィジーについての説明や卒業生の人のインタビュー映像などを見たりました。

フィジーの物価は日本の半分ほどなので出費もかからないし、何よりフィジーには原住民のフィジアンとイギリス植民地時代に労働力としてインドからやってきたインディアンの2民族が人口を占めています。

そんな中お互いに話す言語が違うため、公用語が英語とされているので、フィジー人は二か国語を話すバイリンガルということでした。

それゆえ、日本人が英語を学ぼうとした時に英語をマスターするのがどれほど大変かをフィジー人は理解しているため、とても親切な扱いをしてくれるというところもフィジー留学の魅力だと言われました。

話を全部聞いて家に帰宅し、詳細を両親に伝えると「迷うなら行って来い」と一言言われ、私は南太平洋のフィジーに行くことになったのです。

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