27歳の頃、初めて訪れたバリ島で、私にとっての運命的な出会いが待っていました。

私は夫となる彼とバリ島で出会い、少し遠距離恋愛をしたのちに、彼の実家に暮らし、そして結婚式やヒンドゥー教徒の儀式など、バリ島現地でしか体験できない独特の日常を送りました。

バリ島だけではなく、途上国に「お嫁に行く」方にとって、参考になればと、現地での体験をシェアさせていただきます。

出会い

私と夫は、バリ島の最も有名なショッピングエリア·クタにある、bali sari bungalowsというホテルで知り合いました。

サーファーが多く宿泊しているpoppies2という小道のすぐそばで、とても便利なところでした。

彼は私が泊まっていたホテルのホテルマンでした。

宿泊初日、中庭に出ると、部屋の担当スタッフに会ったので「美味しいレストラン知ってる?」と尋ねているところに、たまたま通りかかったもう一人のスタッフが彼でした。

彼は少し遠くから、私と話していたスタッフに向けて、声をかけてきました。

私と一緒だと気付くと、近づいて来て挨拶をし、「大声で声をかけてすみません。」と英語で謝った後、最後に、少し照れた表情をしました。

あら?何だか私の胸がドキドキっとしました。

多分、この時、これが一目惚れの瞬間?と突如として彼が気になり始めました。

彼も会話に加わり、ちょうどご飯の話をしていたので、では今晩ディナーに行こう、ということになりました。

夜になり、すぐ近くの中華料理屋のナシゴレン(インドネシア語で炒飯のこと)が美味しいからと、3人で出かけたのですが、気を利かせてくれたのか、私の部屋担当スタッフさんは、食べるとすぐに、お祈りをするからと帰って行きました。

彼は瞑想者でグルがいて、修行で毎晩お祈りと瞑想をしているらしいと、後で彼が教えてくれました。

「自分は瞑想者でも、宗教的でもないけれど、ヒンドゥー教徒だよ。どんなことでも、やってもいいし、やらなくてもいいし、イスラム教に比べて自由が多い。仏教と同じだよ、神様もいっぱいいるし。」と。

自然とそこから彼の育った家の話になり、2人になると話すことはたくさんありました。

お互いの家族のこと、私の日本での暮らしや仕事、彼には妹が二人いて、彼が学費の面倒をみているらしいなど。

責任感を感じる人柄や、家族で支え合う文化なども感じ、話していて、心が温まる思いで、
どんどん惹かれていきました。

私達はお互いにカタコトの英語で伝え合っていたのですが、大恋愛の真っ最中、恋は盲目(笑)、言葉の壁も、どうやら目には見えずに超えてしまっていたようです。

私にとっては、出会って2週間で、結婚を決意するほどの、ドラマティックな恋愛の始まりでした。

結婚の決意

出会って間もなく、彼が運転するバイクで彼の実家を訪れました。

彼の実家はチュルクという村にあります。

バリ島は昔から、シルバー細工の技術では世界一と言われていますが、町のお店に並んでいるアクセサリーのほとんどは、このチュルク村の職人によって作られています。

彼の実家の建物のないスペースでも、机と椅子を置いて、お兄さんと職人さんが、アクセサリーパーツを作っていました。

こうして、彼と出会ってから、何度となく聞いていた家族たちにも会えて、みんなが暖かく迎えてくれ、カタコト英語でなんとか、会話も少しできたので、充実した訪問になりました。

まさか、ここでこの家族と暮らすことになるとは、その時はリアルには思わなかったけれど…。

ところが、私と彼はこの訪問を越えて、「夫婦」になる、そして私は彼を「支えたい」と思うようになりました。

結婚の決めては3つありました。

ひとつは、彼の容姿! ずばり顔や体形などがタイプでした。

彼は典型的なバリ島の人たちと、肌の色もかなり白く、彫りの深い顔立ちで、細身のスタイルをしていました。

つまり、一目惚れしたのは私ですね(恥)(笑)

二つ目は、彼はヒンドゥー教徒でした。

私は世界中の宗教に興味があり、宗教に触れるのも目的で、今でも旅を続けています。

そのころは好奇心旺盛、できれば体験したい派なので、バリ島でよく目にする光景の一つで、
道路脇をクバヤという正装を着た女性が、大きな皿に、綺麗に高く積まれたお供え物を頭に乗せて、お寺まで運んでいる行列は何のセレモニーなんだろう?

インド·ヒンドゥー教とは、神様の役割がどう違うのだろう?

お寺から聞こえてくる言葉はバリ語なのか、それともサンスクリット語なのか?

当時、バリ·ヒンドゥー教のことが書かれた本は、日本ではほぼありませんでした。

知られていることが非常に少ない、バリ島のヒンドゥー教なので、なれるなら、ヒンドゥー教徒になりたい!とまで思い、一層惹きつけられていました。

最後の3つ目の理由は、彼の実家の周辺の美しい景色を愛してしまったからです。

場所はバリ島芸術の中心地と言われる「UBUDウブド」のすぐそばです。

ギャニャール県にあるウブド近郊は、棚田の眺望の美しさでも有名です。

日本でもなかなか見ることのできない絶景は、バロンダンスが毎日見られる、バトゥブラン村の演舞場辺りから、マス村、チュルク村、ウブド村、そして有名なペジェン村の棚田まで、何キロにも渡り、見渡す限りのライスフィールドが続きます。

バリ島は暖かく、年に3回もお米がとれるらしいので、大体いつでも見れる景色なのです。

時々、日陰を少し提供してくれているのか、ヤシの木がところどころあるだけのライスフィールドが地平線まで続くのです。

緑一色の稲穂は言葉が出ないくらい美しいです。

どこか懐かしさも感じ、あぁ、ここで将来のんびり暮らしたいなぁと思いました。

それから、間もなくして、帰国の時が来てしまい、ングラ·ライ空港で涙のお別れをしました。

ですが、愛と若さ故に行動力もあり、遠距離恋愛に耐えられず、一度帰国したのも束の間、
2ヶ月後には、彼の笑顔を想いながら、私も笑顔で日本を後にし、いざバリ島へと、飛行機に乗りました。

たった2ヶ月の遠距離恋愛で、寂しくて、どんなに彼に会いたかったかと思い出し、飛行機の狭い座席の中で、恋する乙女は「もう、彼と離れない!」と誓ったのでした。

結婚の決意を胸に、迎えに来てくれた彼と、まずはバリ島の彼の勤めているホテルに向かいました。

ここまでは今までの海外旅行とさほど変わりませんでした。

再会して数日、バリ島の暑さにも慣れた頃、彼から提案がありました。

結婚式を挙げるためには少しまとまったお金がいるし、ホテルを出て、彼の実家に移り、ホテル代を節約するのはどうか?と。

なるほど、少しでも節約できるほうがお財布にはいいと、この後私は、ホテル暮らしから彼の実家に寝処を移します。

ここから「バリ島で嫁になること」に向けて
想像を超える驚愕の異文化を目にしていくわけです。