ラビの帰国から、再びフィジーへ

1か月の日本滞在を終え、ラビは先に1人フィジーに戻っていきました。

私たちの結婚が決まったことで彼の両親も結婚に向けた準備を始め、日程を2016年1月と決めていたのです。

しかし、1年も時間があることから残された時間は結婚資金をためる事と祖父母などの家族とゆっくり過ごすということになりました。

結婚が決まり、両親にも全額返済が終えていたので、勤務していた職場のホテルに嫌気がさしていたこともあり3月で退職することを決め、寿退職として堂々と1年半務めたホテルを去ったのです。

その後、私は何をしていたのかというと地元で始まった新規の小学生の学童クラブの立ち上げメンバーに声をかけられフィジーに旅立つ直前まで仕事をさせてもらえることになったのです。

色んな職業を経験してきた私でしたが、最後の最後にまさか小学生を相手にいて子供達から「先生~」と呼ばれることになるなんて思いもしませんでした。

それまでどちらかと言えば子供は嫌いだった私は、この学童クラブの仕事をきっかけに子供が大好きになりました

そして時はあっという間に過ぎていき、2015年11月に私は再び南太平洋のフィジーに舞い戻ってきたのです。

3年ぶりに帰ってきたフィジーは何も変わらない灼熱の太陽を降り注いでくれていました。

そこからラビと同棲?新婚生活が始まりあま~い毎日・・・ではなく結婚式の衣装の準備や日本の家族への連絡事項などでかなりドタバタで過ぎていきました。

そして年が明けた2016年1月22日23日に、私とラビの結婚式(インディアンスタイル)が行われたのです。

日本からは、両親と他県に在住していた兄夫婦と姪っ子、そして5人もの友人がかけつけてくれたのです。

姉は?となると、なんと私の出国前に妊娠が分かり今回は日本で待機となったのでした。

家族皆も、初めて尽くしで理解しがたい文化のインディアンスタイルに圧倒され戸惑いながらも一生懸命私の為に笑顔を振りまいてくれていました。

1週間の滞在はあっという間に過ぎていき、結婚式も無事に終わりみんなの帰国の日がやってきました。

やはり、3カ月ぶりにあう両親が帰国してしまうこともあり飛行機の前に私はワンワン泣いていました。

母は私を抱きしめて「無理だと思ったら、気にすることなく帰ってきたらいいんだからね。絶対に無理しちゃだめだよ」と言ってくれました。

兄も「無理になったら普通に帰ってきたらいいやん。1人で帰国するのが恥ずかしいならフィジーまで迎えにきたるで一緒に帰ったる」と、ただ1人身近に家族もいない状況で生活していく私に、日本に帰ってくること(つまり、離婚)は恥ずかしいことじゃない、無理しないで我慢してはいけないと教えてくれたのです。

父は、サングラスで目を隠していましたが泣いていました。
そこでたった一言「お前は、俺の娘や」と言葉を残し皆旅立っていきました。

それからあっという間に1年半が過ぎました。

最初の頃は、頼れる日本の家族も友達もいない状況で日本に帰りたい気持ちしかなかったのですが、今は慣れてきてフィジーに自分の居場所を作れてきた気がします。

勿論、まだまだ理解しがたい文化はたくさんあります。

しかし、そんな中でも私は無理せずに理解しようとせずMr.childrenの掌の歌詞にあるように“1つにならなくていいよ。認め合えばそれでいいよ”と同じように、認めれる様になりたいと大きな心を持つことが出来始めました。

人生で初めて出会った大切だと思えた人と一緒にこれからも無理しすぎずにゆっくりと歩いていきたいと思います。

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