南太平洋から日本へ!

気付けば、遠距離を始めてから2年の月日が過ぎようとしていました。

そんな時、私は地元に新しく建ったホテルのレストランで仲居として正社員で勤務していました。

やはりフリーターでは年金健康保険を支払うのに厳しく正社員として働いていました。

そして、私の両親への全額返済もあと3カ月で終る!と先が見えてきていた2015年9月。

相変わらずLineで連絡を取っていたフィジーのラビから突然こんなメッセージが来たのです。

“今年のクリスマスから日本に行こうと思ってる。”

えぇぇぇぇ?マヂで?となり話を聞いてみると、「約2年近くも会えていなかったから限界だし、りこのご家族に会ってお話したい。」と言うのです。

お金に関しては心配しなくていいから、自分が日本を訪れる為に必要なビザの申請手続きだけしてほしい。とのことでした。

その時には、私としては「ラビに会える!」という嬉しさだけで、彼が大金をはたいて日本に来る本意を考えていませんでした。

そして、家族にラビが日本に来ることを伝えビザの申請手続きなどを済ませていきました。

ラビが来る。それだけで、忙しい仕事にも耐えることが出来、毎月5万支払っていた返済を一度に全額支払い、彼が来る前に全部終わらせたのです。

そして運命の2015年12月24日聖なる夜に南太平洋の灼熱の国フィジーから極寒の国日本にラビはやってきたのです。

怒涛の1か月

ラビが日本のセントレア国際空港に到着した12月24日は日本人の私でも凍えてしまいそうな寒い夜でした。

出口でずっと彼の姿を探している私の横で、私たちの様な遠距離恋愛をしていたのでしょうか。

数組のカップルが再会を喜びキスをしていたのです。

それを見ていて私も・・・ラビと会ったらここでキスするのか?と1人妄想していると2年ぶりにみる愛しい人が姿を現したのです。

「らびー!!!」と呼びドラマの様に彼の胸に飛び込み!!と、なるかと思っていると彼は人生初の“極寒”に耐え切れず歯をカタカタさせて「や・・やぁ・・りこ」とドラマの様にロマンチックにはいきませんでした。笑

その日の夜は遅かったので近くのホテルに宿泊し、翌日に電車で私の地元に向かいました。

家族からは、夕食の際、家に連れてきていいからそれまではどっかで時間潰しててと伝言を受けていたのでショッピングモールなどで時間を潰していました。

私はラビが自分の家族に会うことをそれほど重要なことではないと考えていました。しかし、ラビは私の家族に会うことを重要なことだと考えており、1人で日本のマナーを勉強しながら、どうしたら家族に気に入ってもらえるかをひたすら考えていました。

私はラビに日本では家に上がったら手を洗うなどと教えてあげたりしました。ラビも必死にイメトレをしていました。

そして、夕方になり家に連れて行くと玄関には父と母と帰ってきていた姉夫婦が出迎えてくれました。

私の家族では、姉が英語ペラペラで父がとりあえず話せるという感じで、母と義理兄は全くの英語はダメという環境でした。

ラビをみて、父がとりあえず自己紹介をして母が作ってくれていたおでん、お刺身、彼の為のから揚げなどを食べ始めました。

しかし、すべてがラビにとって人生で初めて目にする料理ばかりで特にお刺身に関しては生で魚をそのまま食べるという日本人の状況に圧倒されていました。

しかし、彼は嫌な顔せずに自分の為に英語を話してくれる父と一生懸命話をしてお酒を飲みかわし刺身におでんなど全ての料理を口にしたのです。

その際に「これは無理です。ごめんなさい」と食わず嫌いで拒否するのではなく一度食べてみてごめんなさいと言うその姿勢に家族は皆好印象を抱いていました。

そして、やはり見ず知らずの外国人を家に泊めることはできないということを両親が決めていたので近所にあったゲストハウスに彼を送り届けその日は無事に終わりました。

しかし翌日から私はホテルの仕事がスタートした為に(年末年始で最も忙しい時期)中抜けの間しか彼との時間を作ることが出来なかったのです。

そんな私に救いの手を差し伸べてくれたのは、フィジーに私を導いてくれた姉でした。

彼女は当時まだ子供もおらず、日中に時間があったので私がいない間にラビを色んな所に連れて行ってくれたりしていたのです。

更に、彼女は英語が堪能なのでコミュニケーションにも特に問題もなく本当に助けてもらっていました。

ラビが我が家を訪れた翌日には、ラビをつれて姉夫婦で近所のインディアンレストランに出向いていました。

勿論、その時、私は仕事でいませんでした。

これは後日談なのですが、ラビが遠いフィジーから日本に大金をはたいてやってきたのは全部りことの将来の為であり、本気で結婚したいと考えているから訪れたそうなんです。

そして、ここでの夕食時の彼の話を聞き、姉夫婦は「これを逃したら、きっと(妹:私)一生独身だ」と痛感し私達を応援する側に回ってくれたのです。

その翌日から姉は、1か月しか日本に滞在できないラビのことを考えて行動してくれ、私が仕事でいない間に理由をつけてラビを家に呼び入れ両親と交流する時間を増やしていってくれたのです。

そして、運命の大晦日。

夕食の出勤前にラビから「今日、ご両親に結婚の話をしようと思ってる」と打ち明けられ「仕事で忙しくて私もいないんだし、もうちょっと待ってよ」と伝え出勤しました。

そして22時半過ぎに仕事が終わりiPhoneが光っていたのでチェックするとLineで姉から「おめでとう~」とたくさんスタンプが届いてて「なにが?まだ年明けてないよ」と思ってLineを開いてみると、なんと私が働いている間にラビは家で両親に私と結婚させてほしいと伝えていたのです。

私がいない間に。笑

父は、数日過ごしただけでもラビのオトコとしての魅力を感じ即座にOKしたそうです。

しかし、母はやはり戸惑いがあり「少し時間が欲しい」とラビに伝えると、どうやらラビは「何日も待てない。今日中に欲しいケドお母さんの気持ちは理解できる」と英語で話していました。

母は全く彼が何を言っているのか理解していませんでしたが(英語での話のため)姉が「ラビは、こんな気持ちで新年迎えたくないから、すぐに結果が知りたい。さぁ~さぁ~。って言うてるよ。早く伝えたんなよ!」と口からでまかせで母を尋問誘導し、母から「娘をよろしくお願いします」と見事に導いたのです。笑

口が達者だとは知っていましたが、ここまで口が上手な姉に感謝した日はあの大晦日が初めてでした。

はれて、両親から正式に結婚の承諾を得たラビ。(私がいない間に)日本に来てわずか1週間での出来事でした。

そして家族みんなで地元の大きな神社に新年のあいさつに出向き、道行く近所の人に「誰?この外人」と聞かれても「義理の息子。義理の弟。」とちゃんとラビを紹介してくれていたのです。

それから親戚の家にもあいさつに出向き、皆ラビが来る前から事前に知らせていたこともあり、驚きはしなかったのですが初めて見るフィジー人に戸惑いながらも祖父母も温かく日本人の孫の様に出迎えてくれたのです。

そしてある日姉から、「結婚式するのはフィジーってことは分かるけど日本でも、祖父母が見れる結婚式みたいなのしてあげたら?」と提案を受けたのです。

結婚後は長男の彼の為にフィジーに私が嫁ぐことになっていたのですが、祖父母の事を考えると100%フィジーの結婚式に来ることは無理なので、姉の提案に家族みんなで納得したのでした。

しかし、あと2週間で帰国のラビといきなり挙式を挙げるのは無理だろ、時間がなさすぎるとなり、親戚だけを集めて小さな食事会を開くことになりました。

近所のちょっと高めの和食料亭の2階を貸し切り、母が父と結婚する際に祖母から持たされた花嫁衣裳のピンクの着物を身にまとい、ラビも叔父の立派な着物に袖を通して2人で身支度をしてもらい親戚を出迎えました。

そこでは色んな話をしたのですが、司会進行をしてくれていた姉の幼馴染のアスカさん(仮名)が「ラビさんから、りこさんへのプロポーズの言葉は何だったのですか?」と質問を受け、「う~ん。プロポーズっていう言葉はなかったですね。とりあえず、結婚するんだろうな。と思っていたので。」と打ち明けました。

すると、アスカさんは話をラビにふり「だ、そうですよ?ラビさん(勿論日本語:私が同時通訳をしていました)」となると突然ラビが立ち上がり私も立たされて「何?」と思っていると日本語で「リコサン。ワタシハ、アナタを必ずシアワセにします。ワタシと結婚してください」とラビは日本語でプロポーズしてくれたのです。

しかもラビは内緒で日本で購入してくれていた指輪付きも渡してくれたのです。

このサプライズには私も驚き、勿論プロポーズにはOKしたのですが、どうやら姉がこの食事会の数日前に「あんたらってプロポーズとかあったん?」とさりげなく質問してきて「なかったな」と答えたことから、この日本語のフレーズをラビは姉から教わり猛特訓していたというのです。

私たちの結婚に反対するどころか背中を押してくれた家族と身内に見守られながら私は愛する人からプロポーズを受けたのです。

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