フランス人と結婚されている(フランス在住 30代女性 祝子)さんより、国際結婚を実際に、体験してみて、辛かったという孤独感について伺いましたので、ご紹介させていただきます。

フランス人の主人と結婚して現地に住んでいる、30代半ばの女性です。一見華やかなイメージのある「国際結婚」ですが、実際には心身ともに非常にエネルギーを使い、悩みのつきない生活でもあります。今回はそういった、あまり触れられることのない国際結婚の大変な部分について、私の経験からお話したいと思います。

第三国での馴れ初めと結婚

私の場合、主人とは第三国で知り合って交際を始めました。最初の数年間は、お互いにとって外国であるその第3国で、同棲という形をとりました。その後正式に結婚して、私が外国人配偶者としてフランスでともに暮らすことになったのです。

出会って最初の数年間、私たちの共通言語は英語でした。交際するようになり、彼を通して「フランス語」「フランス文化」に興味を持ったので、私はすぐにフランス語学習を開始。それまで、日本では接点のなかった分野でしたが、かなり面白いなと感じました。元々語学学習は好きでしたし、また欧州の歴史や文化についても深い興味を持っていました。ですから彼のこととはまた別に、フランス語の学習を深めていったのです。

約一年後から共通言語は英語からフランス語に以降しました。おぼつかないとはいえ、学ぶ環境と話者には事欠きませんから、かなりの速度で私はフランス語を習得できたのです。

2年後、彼が故国フランスでの就職に成功し、これを機に私たちは結婚して渡仏することにしました。

一般に、フランス人との国際結婚は手続きがかなり複雑とされています。ずっと後になってから、その当時同じような状況でフランス人と結婚した人と、状況を話し合ったことがあります。日本からやってくる場合、結婚のためのビザ所得・それ以降のためのビザ所得…と、まずビザだけでもかなり煩雑です。私たちは第3国のフランス大使館で手続きを始めたのですが、私がその際EUの大学生であり、第三国での正規滞在許可を所有していたことから、ビザは1本だけで済みました。

ただ、近年繰り返し国際結婚に関しての法律が改正されているので、現在はまた全く違う状況だと思われます。 ようやくたどり着いた結婚式ですが、大量の招待客に囲まれた花嫁の私はひとりぼっちでした。日本からきた家族親戚は時差ボケと疲労・酷暑でダウン。招待客は殆どが義父母の知人で、簡単なお祝いの言葉を述べるとすぐにシャンパンを飲みに行ってしまいました。

フランス語も話せるのに、話す話題もたくさんあるのに、どうして私は一人なんだろう?夫は田舎の出身で、周囲は引っ込み思案の人ばかりでした。初対面の東洋人と話し込みたい人も少なかったのです。ですがここで、私の孤独が始まりました。

孤独が深まった経緯

夫と結婚生活を始めたのは割と大きな地方都市でした。すぐさま私は地元大学のフランス語コースに入学。すでに中級レベルの語学力はありましたが、さらなる飛躍とレベルアップを求めたのです。そして、世界各国からやってきた学生たちと楽しく学業に励み、親しい友人も何人かできました。

ところが2年も経たないうちに、夫が転職。数百キロ離れた別の地方都市へ引っ越すことになりました。人間嫌いな所のある夫は友人が全くおらず、頓着していませんでしたが、私はせっかくできた友人から離れるのが辛くてたまりませんでした。

それでなくても遠く離れた日本に、留学していた第3国に、多くの友人知人を置いてきたのです。嫉妬心の強い夫は、私がメールなどでそういった人々と連絡を長く取り合うことに嫌な顔をしました。夫の顔色を見ながら、私は徐々に自分自身をも社会から切り離していきました。

産後うつの発症

そうしてやってきた新天地で、私は妊娠に気がつきます。日本への里帰り出産は経済的に許されませんでした。仕方がない、と思いつつ孤独な妊娠生活を送るうちに、「私は一体何をしているんだろう」という絶望感に苛まれ始めたのです。

第3国で留学していた時に持っていた将来の夢を放り投げて、ひたすら夫を失うことを恐れて結婚に突き進み、フランス生活への順応に心血を注いできました。その夫は生活を楽しまず、ひたすら仕事の愚痴を食卓で口にするばかりなのです。「君は全くもって子どもっぽい、赤ん坊が生まれたら少しは自分に自信が持てるようになるんじゃないか」そんな風に言われました。 出産後、さらに孤独な生活が待っていました。子どもの世話で全く休まる時間がなく、実家からも主人実家からも援助はありませんでした。

出産後のランナーズ・ハイ状態で乳児期を乗り切った頃、私は深刻な産後うつを発症しました。主治医から精神科医へ、カウンセラーへと様々な方面へ送り込まれましたが、その誰もが私を「治す」ことはできませんでした。私はここでは外国人です。 誰もが私を「異物」「異質なもの」「異質な上に精神を病んでいる女性」そういう風に特異の目で見ているという妄想が頭を離れませんでした。

日本の家族友人は、心配はしてくれるものの何かを実行してくれることはありませんでした。実母はとんちんかんなアドバイス、フランスにおいて全く役に立たないお説教を滔々とたれ続けたので、ある時以来距離を置いてしまっています。日本からも、フランスからも隔離感を強く感じ、そして孤独を辛いと思ったのです。

再生・回復を果たした現在

私を救ったのは私自身でした。ある時、留学中にしたためていたノートが出てきて、「あの頃の夢を果たさないまま、このまま死ぬことは決してできない」と目が覚めたのです。生活に埋没してはならない、私にはやりたいことがある。子どもが学齢に達し、ようやく時間ができるようになって自分の活動を再開しました。自分の時間を生きることで、ようやく私は回復していったのです。

私は、日本においても産後うつに陥ったかもしれません。けれど、果たして日本において、ここまでの孤独感を味わっただろうか?とも疑問に思うのです。私自身は未だ自己実現を達成していませんが、国際結婚することで一度失ってしまった「自分自身」をようやく取り戻した感があります。回復した以上は、地に足をつけて二度とそれを失わないよう、地道に努力して行こうと思っています。 ネガティブな体験も多いのですが、基本的に夫同様、私はこの国を愛しています。この地に関する興味は尽きませんし、ライフワークとして学習を深め、続けて行くつもりです。恐らく自分は一生この地で外国人として異質に生きるのでしょう。そこには必然孤独が付きまとうものであり、それを怖がって逃げ続けるか、受け止めて共生の道を選ぶかは私次第なのです。それが私が、国際結婚とそれに伴う孤独感の経験から学んだ、大きな教えです。

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