(個人情報保護のため、登場人物は全て仮名を使用しております。)

運命を変えた最初の出会い

6年前の秋、都内私立に通う当時高校2年生だった私は、附属の大学へエスカレーター式で進学するつもりでいたため、勉強はそこそこに、毎日部活に明け暮れる日々を送っていました。

中学受験以降、塾には全く通わず、学校での勉強しかしていなかった私は、いつもテスト前の一夜漬けで、テストが終わったら習ったことの大半を忘れてしまうような生徒でした。ですので、英語を含めた各科目の偏差値は50くらいでしたが特に気にしていませんでした。

とは言え、一応高校生なので人並みに勉強はしておこうと思い、高校2年生の秋、実家の隣駅にあった、四谷学院という塾の個別指導を、英語と国語だけ週に一コマずつ受けてみることにしました。

ここで私の運命を変える最初の出会いが訪れます。

四谷学院で私の英語の個別指導を担当してくださったのは、アルバイト講師だった高橋先生でした。

高橋先生は、慶應義塾大学経済学部の3年生で、それはそれは頭が良く、英語の教え方に関しては、それまでに出会ったどの英語教師よりも上でした。

今まで英語勉強と言えば、ひたすらにテスト範囲の英文を「暗記」してきた私にとって、高橋先生の英文法の仕組みを解説する授業は目から鱗でした。

初回の授業を終えた私は「英語ってこんなに面白いものだったの!?私、頭良くなったような気がする!」と意気揚々と帰路につきました。

それからというものの、毎週高橋先生の英語の授業を受けていくうちに、どんどん英語が好きになっていき、私の英語に対する勉学意欲も実力も以前とは比べ物にならないほどになりました。

また、以前は勉強嫌いだった私ですが、慶應大学に通う頭脳明晰な高橋先生と話すうちに「頭が良いって格好いいな、、、」と思い始めました。

高橋先生のおかげで英語が得意になってきた私は、もともと目指していた家庭科の教師という夢をやめ、附属の大学へ進学して英語の教師になろうと思っていました。

偶然つけたテレビが、私を留学へと導く

季節は過ぎ、その年の冬のある日、私は何気なくリビングでテレビのスイッチをつけました。
たまたまついたチャンネルでは「ハーバード大学白熱教室」という番組をやっていました。その番組は、ハーバード大学の大人気講師であるマイケル・サンデル教授が来日して、東大生と共に特別授業をするというものでした。
マイケル・サンデル先生はアメリカ人なので、もちろん講義は英語ですが、テレビでは視聴者のために通訳の声が被せてありました。

その場にいる東大生たちも、ほとんどは通訳を通して講義を受けているようで、発言するときも日本語で発言する人がほとんどでした。

その時です。東大生であろう一人の男子生徒が、サンデル先生に指名されたあと、流暢な英語で、そして自信に満ち溢れた顔 で、自分の意見を述べ始めたのです。

私は圧倒されました。

格好いい!!!!
日本人で私と数歳しか年も変わらないのに、こんなに流暢に、そして堂々と英語を話せるなんて!!!

私は画面に釘付けになりながら、その名前も知らない東大生に言葉で表せないほどの尊敬と憧れを抱きました。

そして「私もああなりたい!」「英語を流暢に堂々と話せるようになりたい!」と生まれて初めて思いました。

もしあの時、何気なくテレビをつけなければ、アメリカの大学へ通う決意なんてせず、アメリカ人の夫とも出会っていなかったでしょう。

アメリカの大学を目指す

英語を流暢に堂々と話せるようになりたいと言っても、どうすれば良いのだろう。。

悩みながら過ごしていたある日、高校の友達の友達だった佐藤君(仮名)という男性と出話す機会がありました。

彼は一歳年上で、高校卒業間近だったので、「どこの大学に行くんですか?」と聞きました。

彼は「レイクランド大学だよ」と言いました。

「???? レ、、レイクランド??」

話を聞くと、レイクランド大学とは、アメリカの大学の日本校だというではありませんか。

場所は日本だけど、授業はすべて英語で行われて、教授も全員外国人。しかも、日本校で二年間過ごした後は、アメリカにあるアメリカの大学に編入できるそうです。

そんな大学があるんだ!
「アメリカの大学を卒業する」って響きが格好良い!!

私はその2週間後に大学説明会に参加し、即入学することを決めました。

それから高校卒業までの一年間はひたすら英語漬けでした。
高校の選択科目はすべて英語、部活の休憩時間も、帰宅後も、四谷学院でも、常に英語を勉強していました。

高橋先生の全身全霊の個別指導と、アメリカの大学に行くという大きな目標のおかげで、私の英語の成績はメキメキと上がり、高校卒業時の全国模試での英語の偏差値は67にまでなっていました。

レイクランド大学での2年間

偏差値が67と言っても、所詮は日本人向けの模試での成績です。アメリカの大学での授業についていけるほどではありません。

レイクランド大学入学当初、簡単な英会話程度しかできなかった私は、EAPという英語訓練コースを半年ほど受講しました。そこでも教授の言っていることが聞き取れず、教科書を数ページ読むのに何時間もかかってしまい、課題の論文を終わらせるのも気が遠くなる苦労でした。

けれど、半年のEAPコースが終わって見ると、もう英語を話すことに怯えていない、むしろ、外国人相手に自然と英語で話せる自分になっていることに気がつきました。

中学高校で6年間英語を習っても話せなかったのに、たった半年でこんなに話せるようになるなんて!と驚いたとともに、「日本の英語教育は間違っている」と強く感じました。

EAPが終わり、いよいよアメリカ人と一緒に経済学や統計学を学び始めます。そこでもレベルの高さに参ってしまい、何度も諦めて普通に日本の大学に行こうかと迷いました。しかし、周りの日本人の学生と励ましあいながら必死に勉強し、なんとか2年間で卒業することができました。

留学準備、そして渡米へ

レイクランド大学の卒業生は、ほぼ全員渡米して、アメリカ国内の大学の3年次に編入します。卒業前に編入先を決めて出願をし、合格すれば晴れて編入先へ引越し準備を開始します。

私は街並みも綺麗で、学生人口も多いボストンにある州立大学を編入先として選び、合格しました。

その大学には寮がなかったため、渡米前にアパートを探す必要がありました。

Craigslistというアメリカのサイトで学校周辺のアパートを探していたところ、大学から一駅のところに五人用のシェアハウスを見つけました。

メールで大家さんに問い合わせてみたところ、キッチンやリビング、シャワールームは共有だが、五人それぞれに個室があるのでプライバシーは守られる、と言われました。

写真で見ると部屋もそれなりに綺麗で、家賃も安かったので、すぐに契約書を送ってそこに決定しました。

荷造りも済ませ、いよいよ渡米です。渡米当日、成田空港までお見送りに来てくれた家族や友達と最後の時間を過ごし、いざ搭乗口へ向かいます。

初めて一人きりで乗る飛行機の中ではとても緊張していたので、映画などを見る余裕はなく、これから始まるアメリカでの生活に不安と希望でいっぱいでした。

未来の夫との出会い

13時間のフライトはあっという間でした。
ローガン国際空港に到着後、慣れないボストンの電車を乗り継ぎ、大家さんから知らされた住所に向かいます。

大家さんは中国人の女性でとても優しい人で、到着早々、日本からはるばるやって来た私を気遣って、私以外のルームメイトを丁寧に紹介してくれました。

アメリカのシェアハウスなのに、何故かそこの住人はアメリカ人よりも外国人が多いことに驚きました。

ナイジェリア出身で、大学病院に勤めているジョシュア
中国人で、エンジニアとしてインターンをしているリー
モンゴル出身で、私と同じ大学の新入生のジェシー
そして最後に、韓国系アメリカ人で同じく私の通う大学の3年生のジャック

アメリカに来た一番最初の日、
まさかこの人が将来の夫になるなんて夢にも思わずに、私はジャックと出会ったのでした。