「生まれ育った国も、話す言葉も違うのに、結婚して上手くいくの?」

結婚前から、周りに良く聞かれています。

その度に、私は「国際結婚だったから、こんな私でも結婚出来たんだよ」と答えてきました。

10年経って、その間に色々衝突することもありましたが、結婚できただけではなく、離婚せずにいるのも、国際結婚だからこそだと思っています。

交際経験のゼロの私なんて、一生結婚できないんじゃないか・・・

私は、昔から恋愛について、淡白というか、あまり興味がなかったんです。

周りから好きな人を聞かれて、無理矢理いい感じの人を適当に答えているぐらいでした。

何故か、女の子には告白めいたことをされるんですが、男性にはたいがい怖がられたり、可愛いげのなさを指摘されるばかりで、全く縁がなかったですね。

容姿がボーイッシュというのもあるんでしょうが、素直に甘えたり、弱味を見せたりできないタイプなんですね。

本当は、人一倍甘えん坊で、寂しがり屋で、一人では生きられない甘ったれた人間なんですが、なぜか周りからは、「一人で自立して生きていける、しっかりしてる」というレッテルを貼られてきました。

そんなレッテルから逃れることも出来ず、大学卒業間際まで、誰とも交際すらしたことなかったんです。

漠然と、一生結婚しないんだろうな、と思っていましたし、親もそう思っていたらしいですね。

学生時代のほとんどは海外で生活していました

親の仕事の都合で、中学、高校の5年半を海外で過ごし、大学時代にも1年留学していた私には、「海外」や「外国人」に特別な思いはありません。

言葉の通じる日本人とも、分かり合えない人は、一生分かり合えないだろうし、言葉が完全に通じなくても、感覚が似ている人は、外国人でも仲良くなれます。

言葉の壁があるからこそ、きちんと通じるように話そうとするし、聞こうとします。文化や習慣が違うから、その差を面白がることで、むしろ関係がなあなあにならず、絶えず刺激や発見を与えてくれるんです。

そんな背景もあって、相手が外国人ということには、最初から抵抗はありませんでした。

日本案内が奇跡の出会い

大学時代に留学して出会った友達から、「知り合いが初めて日本に行くから案内して欲しい」と頼まれたのが、大学卒業を控えた春休みのことでした。

幸い就職先も決まっていて、卒論も出し終わり、一番ヒマな時期だったこともあり、ズボラで人見知りな私には珍しく、引き受けたんです。

これが働き始める4月だったり、もう少し前で卒論に追われている冬だとしたら、絶対断っていたので、会うこともなかったでしょうね。

基本的に人付き合いが面倒なので、奇跡的なタイミングだったと思います。

ヒマだったこともあり、宿泊先を手配したり、メールでやり取りしたり して、成田空港まで迎えに行くことになったんです。

お互い初めて会うので、写真を送り合っていたんですが、海軍兵のような写真からは、全く魅力を感じていませんでした。

数日案内してあげたらいいだろう、ぐらいの軽い気持ちで空港に行ったと思います。

クレバーな彼に魅かれてしまった

私は、同性でも異性でも、一目見ると、自分に合うかどうか分かります。

合うと思う人は、まあ数十人に一人ぐらいの割合なんですが。そして、合わないと思ったら、挨拶以上に話すことはまずないです。

そんな私が、すぐに意気投合したのが、後に結婚相手となるルークでした。

私の留学先だったアムステルダム大学の博士課程に在学していた彼は、学会に参加するために日本に来ることになったそうです。

元々、黒澤明や小津安二郎などの日本映画や、川端康成や村上春樹など日本文学にも興味があったらしく、観光も兼ねて3週間の長期滞在を予定していました。

話してみて、頭の回転が速いのは、すぐに分かりましたし、興味の幅が広く、知識が深いので、話が弾むんですね。同じ街に住んでいたので、あるあるネタで話題も尽きませんでした。

写真よりも、ずっと私好みの外見だったのもプラスのポイントでした。

恋愛に発展させるつもりはなかった

好ましいと思っても、恋人になりたかった訳ではないです。

何せ恋愛をしたこともなかったので、そういう感情を特に意識しなかったんですね。

それでも、ランチを食べてる時に、自分の研究を熱っぽく語り始めて、紙に書いて図解入りで説明されると、真剣さが伝わってきて、好感が持てました。

私が通っていた大学は、割とスカしたタイプというか、熱血が疎まれる傾向があって、それにウンザリしていた私には、鬱陶しいぐらい真剣だったのが良く映りました。

これは、後にプロポーズに応えた理由の一つでもあります。

スポーツ、音楽、映画、本と、共通の趣味で時間を忘れる程語り合えたのは、初めてでした。

もう少し一緒にいたいという感覚を共有できたのが、恋愛に繋がった第一歩です。

日本人同士だと、「お付き合いして下さい」と言うのかもしれませんが、私達の場合は、なんとなく寄り添って、キスして始まりました。

オランダと日本の超遠距離恋愛スタート

ルークが日本に滞在中に、交際はスタートしたんですが、休暇が終わって彼はオランダに帰国し、私も4月に新社会人として働き始めたので、最初から結婚するまで、超遠距離恋愛でした。

メールはしょっちゅうしていましたし、週末は必ずスカイプをしていたのですが、7時間の時差のため、たまに感覚がすれ違うということがありました。

日中はそれ程でなくても、夜には寂しかったり感傷的になったりして、相手に分かってもらえないもどかしさを、お互いに感じてたんですね。

それでも、私は仕事を覚えるのに必死でしたし、彼も博士論文を書き上げるのに忙しかったので、恋愛に依存することもなく、割とさっぱりしていました。

長期休暇が取れた時に、お互いの予定を合わせて往き来していました。

一年に2回しか会えませんでしたが、ズボラな私には丁度良かったです。会える距離にいて、仕事で疲れて休みたくても、デートをしなければいけなかったら、破綻していました。

会えなくて当たり前だったからこそ、仕事にもしっかり取り組めましたし、一応恋人がいる状態だったので、先輩や同僚と気兼ねなく仕事上の付き合いが出来ました。

圧倒的に男性が多い職場だったので、恋愛を完全に分離出来たのは良かったです。

結婚を決めた最大の理由とは

結婚願望が低い私でしたが、ルークに会った当初から、何となく結婚は見えていました。

それ程に波長が合ったのと、常に肩肘張らない付き合いが出来たからです。

それでも、頑張って入社して、大好きだった仕事を辞めるのは、辛かったですね。

3年勤めて、これから楽しくなる、という時期でしたし、先輩の方々に色々教えてもらい、向いている仕事だと思っていました。

ただ、プロポーズされた時、これを断ったら、多分誰とも結婚しないな、と思ったんですね。

私を好きになってくれる稀有な男性は、きっと現れないでしょうし、私が合うと思える男性もいないだろうなと。

一番の決め手は、職場の女性の先輩でした。バリバリとカッコいい方ほど、プロポーズを断って、独り身でいる方が多かったんですね。

仕事内容は文句ないですし、憧れもありましたが、元来寂しがり屋で、一生独身で生きる強さもない私は、このチャンスを逃したら後悔する、と思ってプロポーズを受けました。

楽しい仕事でしたが、何度か健康診断にも引っかかり、身体が本来丈夫ではないので、いつか変調をきたすかも、という不安があったのも理由の一つです。

結婚式の準備から当日まで

普通なら、ドレスや指輪を用意するのでしょうが、ウエディングドレスに全く興味がなかったのと、無駄な出費は抑えたかったので、スカートとブラウス、ジャケットという何とも地味な身なりで臨みました。

退職祝いで、会社の方々に頂いたペアウォッチを指輪代わりにするつもりだったので、指輪も用意せず、準備したのは、航空券とホテルのみ。普段の海外旅行と変わりませんでしたね。

肝心の結婚式ですが、私達はアムステルダム運河沿いの、歴史的建造物の一室を借りて行いました。両家の親族合わせて、私達を入れても合計13人だったので、大きな場所は必要なかったんです。

オランダでは、まず結婚する場所(私達の場合はアムステルダム)の市役所に行き、結婚式を執り行う旨を伝えます。

市から、式を行う資格を持つ人を紹介してもらい、事前に打ち合わせをします。教会であれば神父が行いますが、市役所、もしくは市が許可する場所に、資格を持った人が来て、執り行います。

アムステルダムの市役所は風情がないので、私達はサロンのような素敵な雰囲気の部屋を選びました。

結婚式をする前の事前打ち合わせでは、馴れ初めや、家族構成などを話しました。書類に不備がないか確認して、当日に備えます。

両家の初顔合わせとなった結婚式

長期休暇を利用して、往き来している間に、お互いの家族とは面識があったのですが、両家の親が会うのは、結婚式の前日でした。

共通言語は英語ですが、親同士で意思疎通を図るほど話せないので、終始笑顔で和やかなものです。

これが日本人同士だったら、言葉が通じる分、不要な発言で場が凍りついたり、黙って笑っていればいいでは済まされないですよね。

親からも、「すっごい気楽」って言われました。

私が事前に準備したBGMのCDをカセットデッキで流し、参加者の前で、誓いを立てます。

両家から一人ずつ証人として、書類にサインし、私達もサインして、お開きとなります。

その後は、別室に用意しておいたケーキとシャンパンで歓談タイム。一旦ホテルで着替えて、参加者全員で夕飯を食べて、披露宴の代わりとしました。

式に関しては、全て彼の両親にお任せだったので、ディナーは、ホテルオークラアムステルダムの和食を、私の方でセッティングして、何となく両家がフェアになるようにしました。

お互い知らないことが多過ぎるのと、文化の違いとか話しているだけで結構場が持つので、最後までリラックスムード満開の一日でしたね。

結婚後はどこに住むべきなのか

プロポーズされた時から、アメリカに住むことが分かっていました。お互いにとって、外国。この決断は、とても良かったです。

もしオランダだったら、私だけ、仕事も辞め、家族や友達からも離れ、フェアではないと彼を責めていたと思います。

実際、結婚によって仕事を辞めたことは、結婚してからも何度も後悔しました。

自分の価値が無くなった感じがしたんです。しかもアメリカとは言え、大学しかないノースカロライナ州のど田舎で、ホームシックにかかってばかり。

それでも、外国人としてアメリカの笑える所、ガッカリした所などルークと共有しながら、絆を深めていきました。

結婚10年を経て、また互いにとっての外国に住んでいる今、「第3の土地」に住むのが結婚生活を続けていくのに大事だな、と改めて思います。

些細な事ですが、家で水漏れがしたり、買った未開封の牛乳が腐ってたりしたら、私はすぐに文句を言ってしまいます。

どうしても、「何でこの国は、こんな有様なのか!」と憤ることもしばしば。相手を批判してるつもりでも、相手の国を貶すつもりでもないけれど、そう思われても仕方ない言い方です。

批判の的が、お互いにとって母国ではないからこそ、2人の間では、笑い話で済まされます。

私達は2人とも愛国者ではないですし、自分の国も批判しますが、自分で言うのと、相手に言われるのでは違いますね。

宗教ネタは、行き着く先がないですし、相手を根本から否定しかねないので、なるべく話さないように気をつけています。

永住の地を求めて

私達は、遊牧民のように、国から国へと渡っていますが、近い将来、やはり永住の地を探す必要があります。

と言うのも、永住ビザを持っていないで、「第3の土地」に住んでいると、母国からも、住んでいる土地からも、全く恩恵を受けられないのです。

税金だけは支払っているのに、見返りがありません。

年金や社会保障全般を視野に入れると、オランダに住むのがいいのでしょうが、家の値段が高騰し、ルークの職種では空きを探すのが難しいのが現状です。

かと言って、日本語が出来ないルークが、日本で就職できる訳もなく、日本という選択肢もありません。

「第3の土地」で永住権を持てる国、社会保障など恩恵を受けられる国を探すしかありません。

あまり明るい未来ではないですが、どこでどんな事態に巻き込まれるかは、母国にいても外国にいてもリスクは一緒と考えて、生活しています。

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